artim

石川次郎 meets artim
「居住空間考」

2016年11月18日(金)

『サロン青山』のオープンを記念し、エディトリアル・ディレクターの石川次郎氏をゲストに迎えたトークイベントが開催されました。マガジンハウスで『POPEYE』『BRUTUS』『Tarzan』といった雑誌を次々と創刊し、日本の男性たちに新たなライフスタイルを提案してきた石川氏。なかでも『BRUTUS』の建築・インテリア特集としてスタートした「居住空間学」は、1980年代から現在まで続く名物企画となっています。今回は、創刊当時の『BRUTUS』編集部の熱気あふれる現場で石川氏が感じた時代のニーズとその変遷、そして40歳を過ぎた頃から自身の中に芽生えていった「良質な暮らし」への思いなどについて、存分に語っていただきました。

聞き手:バンブーメディア代表 笈川誠氏

1980年に「男のライフスタイルマガジン」として創刊した『BRUTUS』が、はじめて「居住空間学」という特集を組んだのが1982年。今でこそ大人気の特集ですが、当時は売れる自信もなく、まったくの手探り状態でのスタートだったといいます。

「最初の号の表紙を見てください。<スタイルのない家には住みたくない-だから-ブルータスの居住空間学>なんて長々しい、説明的なタイトルが付けられていますが、これは自信のなさの表れなんですよ。当時は男性向けの一般誌といえば売れる内容が決まっていて、建築とインテリアについて一冊まるごと特集するなんて考えられなかった。けれど僕は、今までどの雑誌もやらなかったことに挑戦したいと思って、<男の住み方>を特集することにしたんです。内心ビクビクしていましたし、結果として売れませんでした。それでも一部の読者からはとても強い反応があり、手応えを感じることができました」

ふだんの暮らしの先にある、
夢を刺激する「居住空間学」

わずかながらも確かな手応えを感じた石川氏は、「居住空間学」特集をシリーズ化。やがてそれが『Casa BRUTUS』の創刊へとつながっていきます。

「<居住空間学>特集の2号目は、1号目よりも多くの反応があり、売れ行きも少しだけ伸びました。これは鉱脈を見つけたなと思いましたね。建築やインテリア、デザインといった内容が『BRUTUS』では特集のテーマになり得るんだと。3号目からは当時まだ20代だった都築響一くんがミラノ、ニューヨーク、ロンドンと世界中を一人で巡り、各都市の若者たちがどんな生活をしているのかを取材してきてくれました。とにかく若い編集者たちに任せて、自由にやらせたんですよ。その方が絶対に面白くなるから。結果、僕の想像をはるかに超えたものが出来上がりました。まったくもって実用的ではなく、一般の人が見てもちっともインテリアの参考にならないような、役に立たない記事ばかり(笑)。けれど、それでいいと思ったんです。実用性を重んじる専門誌とは違うことをやろう、『BRUTUS』は普段の暮らしのもっと先にある、夢とか欲といったものを刺激していこうと」

とはいえ、「居住空間学」のような特集が本当に日本の男性たちに理解してもらえるのか。売り上げ的に厳しい状態が続くなかで、背中を押してくれたのがマガジンハウスの社長の言葉でした。

「当時の社長は清水達夫さんという、『平凡パンチ』や『an・an』を創刊した天才的な編集者でした。その清水さんがあるとき飛行機の中で『BRUTUS』を読んで、パリから手紙をくださったんです。まだ利益も上げられず、返本もたくさんあったときでしたから、なにを言われるんだろうと思って読んだら、<なかなか面白いから、この方向性で行け。後悔しないように、思い切ってやりたいことを全部やれ>と書いてありました。それでもう、僕は勇気100倍ですよね。その後すぐに<イタリアン・デザイン>特集を大々的に組みました。スタッフ総出でイタリアに出張し、1ヶ月間ホテルを編集部にして、やるならとことんやろうと皆でわいわい言いながら作った号です。建築・インテリアに続き、デザインでまるごと一冊作るとあって不安でしたが、これがすごく売れたんですよ」

40歳を過ぎてはじめて、
自身の生活の「質」を見直すようになった

「居住空間学」特集を作っていくうちに、自分自身の「住まいと暮らし」への関心も高まっていったと石川氏は語ります。

「この特集をはじめて作った1982年当時、僕は41歳で、そろそろ自分の生活についても考え直す時期にさしかかっていました。それまでは編集部に寝泊まりするような毎日を送っていて、自分の家や暮らしのことなんてまったく考えなかったんですけどね。そんな生活を、<ちょっとずつでも良くしたい>という気持ちが芽生えてきたんです。たぶん40歳を過ぎると、男ってそういうことを考えはじめるのかなって。日本全体を見ても、同じことが言える時代でした。1980年代に入って経済こそ一流の国になりましたが、個人の生活のクオリティという面ではまったく追いついていなかった。そこで日本の男たちに向けて、もうちょっと良い暮らしをしようよ、食べるものにこだわろうよ、着るものにも気を使おうよ、という提案をしていったのです」

未来へ向けて、「今」やることに
大きな意味のあるプロジェクト

最後に、artimの『コンセプトハウス駒沢』を見学した感想を尋ねると、夢のある答えが返ってきました。

「駒沢のモデルハウスを見たとき、まさに僕が『BRUTUS』という雑誌を作ったときの気分がよみがえりました。あのときは、たぶん売れないだろうと、すぐには商売にならないだろうと思いながらも、<今、これを出しておかなきゃいけない>という気持ちが強くあって、それを経営者が後押ししてくれたから出すことができました。振り返ってみると、1980年に『BRUTUS』を作っておいてよかったなあと心から思います。それと同じで、このartimというプロジェクトは、もしかしたらすぐには利益が上がらないかもしれない。けれど、今、これを作ることにすごく大きな意味があるのではないかと思うんですね。僕が雑誌を作っていた頃と違い、今では多くの人が生活にこだわりを持って工夫を凝らし、自分らしく、スタイルのある暮らしをしていますよね。そういう意味では、非常に面白い時代になりつつあります。これからの家は、デザイナーのセンスを押しつけたり、住宅メーカーの考え方で作るのではなく、住む人の生活によってまったく異なる、住む人の感覚を活かせる空間でなければならない。artimの家には、そんな夢を叶えてくれる未来を感じます」

石川次郎

石川 次郎Jiro Ishikawa

1941年、東京都生まれ。早稲田大学卒業後、旅行代理店を経て平凡出版(現マガジンハウス)に入社、『平凡パンチ』の編集を担当する。73年に退社し、同時期に退社した木滑良久氏と『POPEYE』の原点となる『Made in U.S.A catalog』を手がける。平凡出版に再入社し、『POPEYE』を創刊。その後、木滑氏とともに『BRUTUS』『Tarzan』『GULLIVER』を創刊。各誌の編集長を務めた。